同じ地球に生まれたの ミラクル・ロマンス

何故わたしはこの年度末の雨の日に、ブログなんて開設しているのだろうか。

現在就活真っ只中で、まったく暇ではないというのに。

しかもPCはWindows7の不調により、現在Windows10をダウンロード中である。

 

 

突然だが、わたしのモットー「好きなことは多い方が人生楽しい」というのがあって、それに見合うようにわたしは本当に好きなものが多い。

B型の好きこそものの上手なれを体現している気がする。(ちがうか)

 

 

小学校は自分で言うのもなんだが、いわゆる名門私立小学校に通っていた。

小学生なのに毎朝5時には起きていて、毎日勉強ばかりして、1時間半の通学時間では本ばかり読む、いやな小学生だった。

長女なのもあって、早く大人になりたい、大人の世界が知りたいという好奇心が多分他の子どもよりも強かったのではないかと思う。(ちなみに今でもあまり変わってない)

当時特に好きだったのはミステリー小説だった(今でも好き。最近読んだのでは青崎有吾先生の体育館の殺人が面白かった。オススメ)ので、余計な知識はバンバン身について行った。いじめがある環境のせいか、人間関係をずるがしこく乗り切る知恵もついてしまった。(ここらへんは気が向いたら書きます)

でも本当に本は大好きで、新しい知識を得るのが好きだった。もともと知的好奇心が強い、なんでも知りたいタイプだったのに加えて、読む本がなくなると説明書を読むような活字中毒の症状も発生した。

しかもこのころは親の教育方針で、テレビや映画を見れなかったので、エンタメにはまったく疎く、音楽などもほとんど知識がなかった。

テレビを見ていたのは幼稚園の頃くらいで、その頃はセーラームーンおジャ魔女どれみ(世代バレる)、モーニング娘。などが好きだった。ラブマシーンのダンス踊れた。

その後、付属の私立中学には進まず、地元の公立の中学に進んだ。

ここでわたしは小学校6年間、まったくと言っていいほど触れてこなかったサブカルというものに出会ってしまった。わたしが生まれた瞬間である。

 

最初に仲良くなった子がマンガが好きな子で、少女漫画から少年漫画まで色々と紹介してくれたり、貸してくれたりした。(小学生のころりぼんは買ってた記憶がある)

最初に貸してくれたのがDグレっていうあたり、わたしの友達運最強だった感がすごい。その後も次々に漫画を与えられ、沼に引きずり込まれた。

漫画の沼にはまると次に待っているのがアニメの沼である。当然っちゃ当然。当然なので、当然アニメの沼にもはまった。名探偵コナンのアニメとか一時期はまりすぎてやばかった。恋はスリルショックサスペンス。

中学1年のころはそんな感じだった。あと親の気まぐれで家にWiiが導入されてからはゲームにもはまっていた。スマブラとかマリオカートとか。

はまると気持ち悪いくらい一日中そのことしか考えられなくなる中毒にかかりやすい人間だった(今はまだましになった)ので、ゲームがやりたいがために誰よりも教室をさっさと出ていくような中学生だった。不適合みがする。

 

多分アニメの沼が案外広がらなかったせいで、ちょっと暇になった中学生のわたしはドラマを見るようになった。そこで運命の出会いがあった。

2008年夏クールTBS「魔王」である。

ドラマ自体はミステリーものの割とドロドロしたドラマだったのだが、問題は主題歌である。当時、上り調子ではあったがまさにちょうど加速し始めたあたりだった嵐の「Truth」である。

嵐自体はさすがに知っていたし、なんなら花男(多分リアルタイムで見てたのはリターンズだったはず。再放送とかかもしれないけど)とかふつうに好きだった。(道明寺派?花沢類派?というやりとり懐かしい。光一派?剛派?と同じでどちらでもないというのは許されない。正直わたしは西園寺さん派だったので微妙な空気になることもあった苦い思い出)

じゃあなんで今更嵐に出会ったことがそんなに大事なのかというと、問題はPVだった。

これまた友達運最強だったわたしは、クラスの友達に魔王を見ていることを話してしまったせいで、嵐ファンに目をつけられ、家に招待され、PVを見せられた。

しかし嵐5人を個々人で把握しているわけではなく、当時顔と名前が一致していたのは、魔王に出ていた大野さんと花男に出ていた松潤だけだったので、その二人を中心に見ているとどうも視界に移りこんでくる人がいたのだ。

それが後の自担、わたしがジャニーズに年貢を納めるきっかけを作った櫻井翔さんだった。

一言でいえばひとめぼれ、ただの顔担である。しかしそこから怒涛の嵐沼落ち生活が始まったのである。

まず学校に行っている以外は一日中TruthのPVを見続けた。親にいい加減にしてくれと言われても見続けた。しかもおんなじ所何回も繰り返したりした。(あるある。そういう意味でVine画期的だった。)

それから嵐の宿題くんひみつの嵐ちゃんVS嵐(まだ昼の30分番組だった頃)をすすめられ、嵐のコンサートのDVD(しかもTimeという良作of良作。Hip Pop Boogieが入ってるのが本当によくなかった。ソファ最高。)を見せられ、CDは何を借りたらいい、カラオケに連れていかれるなどぐんぐん引きずり込まれた。環境が悪かった。

決定的に私が嵐を応援していくと決めたのはAAAの物販に行ったときだと思う。いきなり行ったコンサートの物販が国立競技場って頭おかしい。

なにをしたわけでもないのだが、すごく楽しかったのを覚えている。嵐が好きな友達4人で朝早くに集まって、電車で国立競技場まで行って、あの駐車場で何時間もただ突っ立って並んでいたのが。確か後ろに並んでいた大学生くらいのお姉さんが話しかけてくれてなにやらしゃべったのも覚えている。

多分あの空間、ワクワクに満ちた空間がたまらなく好きだった。そこに集まる人みんなが同じものが好きで、うちわの写真はどんなかとかポスターもう一枚買っちゃおうかなとか、ワクワクと好きしかない瞬間を共有しているという喜びを初めて味わった気がした。

残念ながらコンサートにはいけなかったのだが、そこから嵐はぐんぐん上り調子で売れていった。シングルを毎月出したり、WS含めれば本当にテレビで嵐を見ない日はないといってもおかしくないくらいになった。ドラマも映画もいっぱいやったし、冠番組がゴールデンタイムに変わった。FCにも入った。(ちなみに嵐のコンサートには一度も行けていない。本当に当たらない。)

 

その後受験やなにやらも経て、私の嵐ブームは君と僕のみている風景でピークに達した。その頃になればメンバー一人ひとりのパーソナリティもそれなりに把握していたし、メンバー同士の関係性や役割分担などもわかっていた。しかし私の嵐ブームは一度ここでお休みになる。

高校に入って吹奏楽部に入部し、ピアノが弾けたことからバンドにスカウトされ、しばらくは音楽漬けの日々を送りはじめた。その頃、V系のコピバンに入っていたことから、L'Arc~en~Cielという、これまたものすごい沼に手を出してしまった。

何度も申し訳ないが友達運最強なので、部活の友達でラルクが好きな子がいて、その子からCDを大量に借りて聞きまくった。ヘッドフォンも買ってしまった。ちなみにイヤホンとじゃ違う曲に聞こえる最高。

このあとずぶずぶとV系の沼にはまったり、吹奏楽ガチ勢になったり、クラシックにはまったりもするし、漫画・アニメブーム再熱したり、古い洋画ブーム来たり、まさかの西洋絵画ブームとか海外ドラマブームとか洋楽ブームとか本当にいろんなものが来ては去ってく生活を送っていた。この時きた日本史ブーム(唯一まとも)のせいで、文学部なぞに入ってしまった。(多分他にもいろんなブームきてる。哲学ブームもあったし、経済ブームもあった。数学ブームもあったし、パンケーキブームとか、英語ブームとか、当時付き合っていた人のせいで一時期ガンダムブームにもなった。すぐ冷めたけど。)

 

この高校時代、今思えばすごく充実していたし、人間的に成長したのは間違いなくこの時期だったって思うけど、いかんせん人間的な成長にかまけていたおかげで、勉強を全くしていなかった。というか、なんなら学校にもあんまり行ってない。親もこのころになると成績さえ維持していればなにも言わなかったので、普段は興味のあることを吸収して、テスト前は話しかけられないと友達に言われるくらい勉強していた。

で、色々あって、長い受験生活も終わり、晴れて大学に入ったが、そのころエンタメ・サブカルから遠ざかりすぎて、世の中の動きについていけていなかった。受験期に見ていたテレビはZIPと大河ドラマだけだった。本当に極端なまでの直列思考回路である。

 

そして大学でも友達運最強を発揮し、初めてザ少年倶楽部を見た。第二の運命の出会いである。

今も第二の運命の出会いにはじまったジャニーズブームは続いている。

一回目の運命の出会いと大きく違うのは、その時好きだったのは「嵐」だったということである。嵐がジャニーズ事務所に所属していることを意識するのはカウコンくらいだった。嵐というグループがいわゆるジャニーズの伝統的な道とは違う、メディア路線のグループだったというのも原因の一つだと思う。他のジャニーズのグループのことは全然知らなかったし、ジュニアなんて視界にも入っていなかった。(ごめん)

第二の運命の出会いで出会ったのが、A.B.C-Zだった。そのせいで、どんどんジャニーズという伝統にはまっていった。今もはまっている。これは多分さかのぼりきれないし、更新され続けていくので、多分一生たどり着くことはできないと思う。

第二の運命の出会いはもう3年くらい前のことで、自分である程度お金を稼げていることもあり、中学生の時のお茶の間担レベルの応援からは各段にステップアップした。大学生だから、平日割と自由に時間を確保できることも大きかったと思う。

その結果、担降りを宣言したり、自担が週刊誌に載ったり、色々した。ヲタってまだまだ色々できることあったんだなぁとしみじみしている。楽しい。

今は自担を愛でつつ、とにかくブームの去就が激しい熱しやすく冷めやすい性格のせいで、ほぼDDと化している。降りたり上がったりしている。浮気相手いっぱいいるけど、好きなものが多い方が人生楽しいし、自担もファンも完璧じゃなくたっていいじゃないかという持論の元、楽しく毎日をがんばれている。ここらへんは今後書いていきたい。あいも変わらずジャニーズ以外にも浮気したりもしている。

 

今更なんでこんなに自分を語りだしたかというと、自己分析するために色々書いているうちに自分で思っていたよりジャニーズが私に教えてくれたことっていうのはいっぱいあったんだなと気が付いて、ふと形に残してみたいと思ったからである。大切なことはすべてジャニーズが教えてくれた。

わたしが自由にヲタをやれるのは今年が最後かもしれない。どこに就職するかによるけど、今ほど平日に自由な時間なんて取れないだろうし、いつまでヲタを続けていいのかわからない。幕の引き方はわからないけど、それに向けて気持ちを整理するつもりで書いてみた。

目標は女子ドル界の二大推しメンだったみるきーNMB)とななみん(乃木坂)のように美しく去ることである。