シンメという宿命 ーKinKi Kidsと“さやみる”を例にとってー

diskittg.hatenablog.com

 

こんな素敵なブログを見つけて、完全に触発された感じですけど、すごく思ったことがあったので書いてみます。

一つお断りしておくと、ただいま卒論真っ最中で、文調とか構成とかが論文チックでお送りさせていただきます。

 

 

やっぱり、“2人”というのは難しいと思う。

私にも仕事上の相棒というか、相方という人がいた。

彼女は私とは正反対のタイプで、周りからもそういわれたし、本人たちが一番そう思っていた。

当然合わない部分も多かった。趣味嗜好はまだしも、考え方、価値観の相違というのはやっぱり一緒に仕事をする上で障害になった。

だって価値観が違えば優先度が変わってくる、時間の使い方、力の入れ方が変わってくる。考え方が違えば見えるものも、その見え方も変わってくる。

だからこそぶつかったこともあった。何より意思疎通がスムーズに行かないことが互いに何よりイラついたことだったと思う。他の同期なら一言えば十伝わるような子も、「ヤバい」だけで会話できるような子もいたのに、なぜ一番一緒に仕事をする相棒とは十言っても一しか伝わらないのか。一回だけならまだしも、それで何度も何度もつまづくと、地味に地味にイライラがたまっていく。

端的に言えば相互理解の不足とコミュニケーション能力の未発達さが原因の業務上不和だったのだが、その時は心にも体にも時間にも余裕がないなかだったので、ただひたすらにイライラしていた。私がイライラしていたのに対して向こうが諦観の態度を示していたのも私をイラつかせた原因の一つだったように思う。今思えば色々ひどい。

しかし、彼女とはみごとに正反対だったおかげで得意分野が違った。だから一緒にやる仕事はストレスが多くあったけれど、役割分担をする仕事は歴代のコンビよりもずっとずっとうまくやれたと思う。

彼女はアメとムチで言うならアメで、調理で言うなら下ごしらえが得意で、役者と裏方で言えば裏方タイプで、努力とひらめきで言うなら努力タイプの人間だった。私はまったくの真逆だったので、何も言わずとも互いの得手不得手を心得たうえで役割を分担できたので、心理的にスムーズでとてもやりやすかった。

私がその役職を後輩に託した時、「相棒をよく理解して、背中を預けて戦える関係を築いてほしい」という話をした。それは私と彼女の関係性として、私が理想としていたものだったから。彼らがどういう関係を築いているのか私はまったく知らないが、そうなってくれていたらいいな、と思っている。

 

 

私の話で1000字も食ってしまって申し訳ないが、ここからが本題で、私が言いたいのは「2人ってやっぱり一筋縄じゃいかないんですよ」というである。

KinKi Kidsはデビュー前からずっとシンメとして活動してきた。光GENJIのコンサート会場で初めてあってから彼らはずっと二人なのだ。もう25年近く2人は二人なわけで、私はまだ25年も生きていないのでそれだけ長く一緒に人生を歩く人がいることはあまり想像できない。

二人が出会った時は中学生だったと記憶しているが、その思春期の自分の事を知っている相手と38歳になる今まで一緒に仕事をするというのはそれこそ想像を絶する。正直に言って私だったらそんなことはご免だ。自分の恥ずかしい過去も弱みも知っている相手とずっと仕事をするなんて、とてもじゃないが平常心じゃいられない。

個人的な経験も含むが中学~大学、つまり13歳~22歳くらいっていうのはかなり変化の激しい年代だと思っていて、誰しも黒歴史のひとつやふたつは絶対あるはずなのだ。私は中学、高校の時のどすっぴんの写真なんて今の友達に絶対見せたくない(笑)それに私が社会に出て働くようになったらまたなんかしらの変化が絶対あると思われるので、~25歳くらいまで幅が出るかもしれない。

光一さんが以前「解散したいと思ったことがある」と雑誌で語っていたことが話題になったが、私はむしろそれにショックを受けているファンの方にショックを受けた。私はしょっちゅうバイトをやめたいし、しょっちゅうバイト先の社員の愚痴もこぼしている。もちろんそれをメディアでいちいち言うことはタレントとしてはあんまりないと思うが、私が言いたいのは「解散したいと思ったことがある」ことはまったく当たり前のことで、光一さんの性格からするとそれをメディアで言えるということは今となってはご自身の中でネタみたいになってるのではないかと推察してる。

 

KinKi Kidsはあまり互いのことを語りたがらない。特に光一さんは言葉を濁すし、口数が減るし、殻にこもってしまう。剛さんも煙に巻くような発言が多い。

私はそれは、「どうせなんといったところでうまく言えないから」ではないかと思っている。

 

私は女性アイドルも好きで、48系列ではずっとNMB48みるきー推しメンとしてきた。彼女の魅力について語りだすと収拾がつかなくなるので今回は省略するが、みるきーNMB48の二枚看板の一人だった。“さやみる”と呼ばれた、いわばシンメで活動していた。

さやねえとみるきーは誰が見ても正反対のタイプだった。さやねえは黒髪ショートカットのクールな見た目に、さっぱりした姉御肌、歌もダンスもカッコイイ、リーダータイプで、みるきーは茶髪ロングのガーリーな見た目に、甘えん坊で小悪魔、歌もダンスもかわいらしい、妹タイプだった。

私はそんな正反対な二人が互いに背中を預けて戦っている姿が大好きだった。正反対だからこそ二枚看板として輝いているように見えた。

しかし、正反対だった故にさやみるには常に不仲説がついて回った。確かに二人がSNSで仲良くからんでいる写真はなかったし、バラエティでも二人で雑談するところは見たことがないし、二枚看板だからこその仲の良さみたいなものも、同じグループのメンバーとしての仲の良さみたいなものも見当たらなかった。

私は能天気なので、そのことはあまり気にしていなかったが、やっぱり気になるファンもいたようで、そういう人たちからしてみれば「シンメなのに」という二人の関係性にはやきもきする部分があるのも理解できた。

このやきもきが晴れたのは奇しくもみるきーの卒業の時だったと思う。卒業するにあたって、さやねえがみるきーと二人で歌う「今ならば」という曲を作曲したこともこのやきもきを打破する一端となったと思う。(歌詞を書いたのは秋元康なのでここでは触れない)

卒業報告をした劇場公演でみるきーはこう語った。

 さやかちゃん、同い年で身長も同じくらいで、血液型も一緒で、最後まで友達のように仲良くというか、ホントの友達のような関係にはなれなかったけど、今までの人生で一番運命の人だと感じました。本当に一番運命を感じた人で、たくさん悔しいことも…誰よりも素直になれなかったけど、私は、いちばん誰よりもすごい人だということをわかってるし、本当に尊敬しています。

 思えば、NMB48の一期生としてグループを支え続けた二人は自分たち自身よりも周りからものすごく比べられたはずだ。総選挙の順位にしても去年より落ちた、上がった、あの子より下、上ということにプラスして「さやねえより何票少ないか」「みるきーより何票多いか」と常に言われる。いつだって比べるのは周りだったと思う。しかもはっきりとした数字で。なによりも残酷に。

周りはいつだって彼女たちの関係性にライバルという名前を付けたがった。彼女たちがどれくらいそれを意識してやっていたのかは今となってはもうわからないが、私はあの距離感はそれを意識している部分もあったのではないかと思っている。

あの距離感の理由は、彼女たちにしかわからない。周りからライバルと言われてそれを意識していたのか、性格的にもともと合わなかったのか、何か二人の間で距離感を取ることのメリットを見つけていたのか、それは私たちには知るすべはない。

しかし、SONGSで光一さんが語っていた「一つのエンタテイメントを作り上げる上で仲良しこよしすることがすべてではない」という言葉は、まさにこういうことだったのではないのか、と思っている。思いたくなってしまう。

何よりもずっとずっとくらべられ続けたみるきーがあのように語れたことはすごいことなのではないか。世の中にはこんな関係性も存在するということをさやみるは証明してくれたのではないかと思いいたって、鳥肌が立った。

 

みるきーの卒業報告の言葉に返すように、さやねえがみるきーの卒業公演の後にTwitterでこう語っている。

 みるきーが隣に居たから、隣に居たのがみるきーやったから自分らしくいられた。子供みたいな言い方やけど、並んだ時は無敵やって、心のどこかで自信さえ持たせてくれた。この関係性を何て呼んだら良いのかな。名前も付けられへん位本当に本当に特別な存在。

さやねえとみるきーが出会ってから別れるまでの時間は決して長かったわけではないと思う。しかし、この二人の若い女の子が辿り着いた結論は決して間違いではないのではないか。こんな関係性も確かに存在するし、私たちにはそれを否定することは絶対にできない。

もちろん、公私ともに仲の良いグループもシンメもいるし、それが悪いとはまったく思わない。それぞれにそれぞれの形があるし、公私ともに仲が良いことのメリットも絶対にあると私は思っている。仕事仲間と公私ともに仲が良くいつづけられるのも運命的だとも思う。(嵐のDVDを観ながら書いているので余計そう思う。最も彼らは自分たちの関係性を嵐だと公言していて、それも素敵な形だと思う)

しかし、公私ともに仲が良いわけでもなく、むしろ一定の距離感があって、それでも運命の相手である、本人たちがなんと名前をつけていいのかわからない関係性というのも確かに存在するのだ。本人たちがわからないことなどわたしたちには一生かかってもわかることなどあるわけないではないか。

 

私も相棒の彼女とはよく比べられた。どっちの方が仕事ができるか、頼りになるか、自分の役に立つ人間か、果てはアイドルでもないのにどっちが見た目がいいかということまで比べられていたのも知っている。

でも私も彼女もそんなことはまったく気にしなかった。そのことについては二人で「そんなこと言ってる暇があるなら仕事しろ」と言って笑い飛ばしていた。そういう意味では戦友的な部分はあったように思う。でも私は彼女とは仕事抜きに二人っきりでごはんを食べたこともないし、遊びに行ったりしたこともなかった。多分これからもないと思う。でも彼女のことが嫌いなわけではないし、かといって友達かと言われるとそれは友達ではないとも思う。

 

KinKi Kidsは剛さんも光一さんも素直な性格ではないので(笑)、そもそもお二人の関係性をありのままに語ってくれることはないのではないかというあきらめもあるが、だから勝手に想像させていただくことにした。

 

あの口下手な光一さんがようやっと見つけた言葉がこれで、それを私たちに伝えてくれたくれただけでもう十分って気持ちだったけれど、でももうちょっと掘ってみたくなったので、これは貴重なオリジナルテキストとして脳内保存した。

私はこれ(産経新聞の記事)をオリジナルテキストとしてこのブログを出発させたので、やっぱりKinKi Kidsの核は音楽なんだな、ということは心にとめたうえでこのブログを書いているつもりだ。でも地の文の照れたような笑顔もオリジナルテキストに含まれているよ。

 

上記のブログでは私よりもずっとずっとお二人を見つめ続けた方がずっとずっと詳しく事実に基づきながら書いてくださっているので、もうそっちを見てほしいが、私はKinKi Kidsの二人の関係性にはひとまずさやみるが証明してくれた“友達のようではないけれど、誰よりも運命を感じた、名前もつけられないくらい特別な存在”というところで落ち着けてみようと思っている。なによりKinKi Kidsの関係性にやきもきする気持ちに、さやみるという大きな安定剤を得たことがこのブログの意義だと思っている。(論文チック)

改めて見返すとみるきーの「同い年で身長も同じくらいで、血液型も一緒」という部分もKinKiさんに当てはまっていて鳥肌が立った。(剛さんは私の中ではまだB型だから。譲らない。そういえば私はB型だが相棒の彼女はAB型だったような気がする。怖い。)

 

ちなみに剛さんがおっしゃっていた「光一が旦那でぼくが嫁みたいな、夫婦のような感覚」という言葉は、私には旦那がいないのでよくわからないし、剛さんにも嫁はいねぇだろというのが正直な感想なので、わたしも剛さんも結婚したらこの言葉をもう一回お互いに見返す約束をしてる(してない)

 

 

とにかくKinKi Kidsは一筋縄ではいかないというか、でもそこにとてつもない魅力があるし、だからこそ惹かれてるのも重々承知なので、なんとも悔しい気持ちでいっぱいだし、そんなところがKinKi KidsKinKi Kidsたるゆえんだと思っているので、私もKinKi Kidsももう手に負えないな、というのが正直な感想です(小並感)

 

最後に、KinKi Kidsが20周年を迎えるにあたって、これから雑誌の取材などでいやというほど20年の感想とか、相方に関することとか聞かれると思うんですけど、KinKiのお二人は通常運転で、しゃべりたいようにしゃべって、言いたくないことは言わないままで、いつまでも私たちを翻弄してください、わたしたちもそれに精いっぱい抵抗して忖度させていただきます、と言い残して終わりにしたいと思います。